人災絶頂期

絶対三日坊主宣言

くまの人形

前書いたのもつい最近だと思っていたのに。今日はくまの人形について少し。

私は3歳の頃から白いくまの人形を持っている。記憶にもないが、アルバムの写真には写っているので、恐らくそれで間違いない。

なぜ白いくまだったのだろう。アメリカの子供がクリスマスのプレゼントにもらうような、大きくてふわふわで茶色いありきたりな「くま」ではなく、白くて小さくて、別段ふわふわともしていない、というかむしろ毛はギュギュッとしている、くま。今見ると、縫製技術が悪かったのか、口元が歪んで付いていて、何とも愛らしい皮肉じみた表情をしている。

くまに対する愛着は、幼い頃、誰にでもあるのかもしれない。少なくとも私はこの白いくまに何回か名前をつけ、その度に忘れている。それくらい可愛がっている。

あと、いつ手に入れたかも覚えてない、茶色いくまもいる。今ではこの二人(二匹?)はワンセットだ。どこに行くとしても、きっと捨てられないし、大人になって誰かに譲る日が来るのも、ずっと先のように感じる。

くまちゃんだよ、と子供に人形を渡すなら、まず間違いなくテディベアを、茶色くて大きくてふわふわなやつを選ぶ気がするのだが、私のくまは白くて小さくてギュギュッとしている。親の、あるいは祖母たちの、これを渡したという意図も分かりかねるし、気が知れないのだが、思い返せば存外、そんな家系だったかもしれない。めちゃくちゃな運命上にある家系。そういうことから逃れられない血筋。

こんな奴だが、地味に愛着が湧いているのだ。無論、もう片方の茶色いくまはちゃんと大きいしふわふわで、こちらも可愛い。くまの人形というのは、今までずっとペットを飼えなかった環境にいる私に唯一許された癒しの存在だ。

しかし本当にこの二人(二匹?)、一体いつから私の元にいるのだろう。思い出そうとすると、頭の中の闇を永遠に歩くような感覚がし、本能的に恐怖した貴方はSAN値チェック(0/1)です。

一度でいいから、クリスマスプレゼントにくまの人形を欲しがってみたい。大きくてふわふわなやつが欲しい、とあざとく言っても許されてみたい。

それより先に親元から離れ、私はクリスマスに一人、寂しげな顔をしながら、スーパーの、毎年品揃えが変わらないクリスマスコーナーを眺めるだけの女になる気がする。嫌だなそれ。くまの人形の話でした。