人災絶頂期

絶対三日坊主宣言

ひげ

髭は良い。あれは人を選ぶと思うが、生やせば誰でも似合う気がする。髭が好きなのか、髭が生えた人が好きなのかは分からない。

好きな人すべてに髭が生えているわけでは、勿論ない。
でも、髭が生えている人は無条件に好きだな、と思う。
ただ、これに関して言えば、今までとは少し違う。好きな髭もあれば、嫌な髭もあるのだ。

自分を飾るものとして、あるいはアイデンティティや、自然となった顔のパーツの一つとしてある髭は好ましい。大人に見える、あるいは大人に見られようとしているのが分かるような髭には、整えられようという気概を感じられる。この人の顔の一部になろう、と、髭が生えている。

尊厳や威厳、含蓄、そういったものまで蓄えている髭は、何となく嫌になる。髭の自主性がないのだ。俺が生やしているんだぜ、という思いが濃くなりすぎて、髭の気持ちが全くない。

勿論、髭に気持ちがあるとして、だが。

例えて言えば、誰のものでもない野山に生えた大草原と、刑務所に無理矢理植え付けられた人工芝くらい違いがある。俺が生やしているんだ、という思いは、私はあまり好きではない。そういう髭を生やしている者に限って、性根が捩くれ曲がっている事が多い。酷い偏見だと自分でも思う。しかし、強い自己を持って髭を生やす人の大半は、自分以外の人間を見下している。髭を大切にしてほしい。

髭は良いものだ。しかし、扱う人によっては草原にも人工芝にもなれるのだ。どうか、髭を生やす時は、きちんとお手入れをして、服と同じように楽しく着飾るものとして扱ってほしい。自分のものだから良い、ではないのだ。それは、他人に見られた時、他人の心を支配する。

髭を剃る時間もなく生えている、所謂「無精髭」と呼ばれるものだが、あれは如何か。私は好きだが、好きと思えるのは二次元までだ。究極に整った顔でなければ許されない存在なのだろうなと思う。

現実に好きな人ができて、その人と迎える朝と無精髭まで愛する事が出来たなら、私の世界はもう少し広がるのだろう。髭の話でした。