人災絶頂期

絶対三日坊主宣言

マニキュア

最高だ、見て良し、毒アリ、香り良し。毒はあるのか分からないけれど、まあ、毒々しいという点においては、身を飾る物の中でもダントツトップではなかろうか。

色々と見た目がありすぎて、どの色が一番とは言えない。けれども、フェルメールの青よりも鮮烈で、モネの緑より豊かに揺れ、ゴッホの黄色より強く明るく、ラ・トゥールの赤よりシックでモダン。そんなアートを、指先のほんの一部分に乗せて人生をちょっと色付ける。これは、お洒落な服を大事な晴れの日に着るような、お気に入りのCDを革張りのシートに体を埋めて聞くような、とにかく、何よりも素晴らしく、人の心を飾り付ける効果がある。

ラ・トゥールについては検索したら出てきたので全く知らない画家である。申し訳ない。綺麗な絵だと思った。ああいう赤色は好きだ。

香りも良い。あの独特なマニキュアの香りには、何故か心をくすぐられる。乾くまでの間も楽しいものだ。そして、なぜか人は(私は)あの特徴的な香りに、何か良からぬもの、毒性のようなものを感じている。無論、飲んだら吐くし、体には良くないが、死ぬような量を取るには、よほど無理して摂取しなくてはならない筈だ。それでも、あの香りにはどこか裏側に「死」を直感させるような匂いを紛れさせている。そんな気がする。

美しいと思うものには、大抵そういった裏面がつきものだ。マクドナルドのチラシの裏が大事なクーポンであるように、美とはまた、残酷な一面を孕んでこそ美しいのかもしれない。まあ、現実世界にとっては、そんな一面があっても、百害あって一利なしだ。適当に楽しく、みんなが本心をさらけ出しながら、生きることだけを目的に生きていきたい。

マニキュアを塗れる広めの爪が欲しかったのも本心だ。私の爪は、マニキュアをするにはあまりに小さく、塗っても逆に惨めで幼稚に見えることがおおい。付け爪には慣れていないからすぐに剥がしてしまうし。

さて、いつもの事だが、マニキュア、という響きが良い。マニキュア。まに、きゅあ。素晴らしい文字の組み合わせだ。誰が考えたのだろう、丸みを帯びた響きなのに、きゅあ、の所でキリッともする。お酒で例えるなら、冷酒だ。うんと冷やした上等な冷酒だが、香りは控えめで程よく甘みがあり、焼いた肉や塩味のある豆などによく似合う。
……マニキュアの語感のイメージが悪くなりそうだ。この例えは忘れてほしい。

マニキュアをしている人の動作が優雅に映るのは、それだけ指先に集中しているからなのだろう。やはり、マニキュアとは人を美しくする。一般的に。来世では、爪が長く、マニキュアが塗れる人に生まれてみたい。マニキュアの話でした。

さば

煮ても焼いても食えない物は外郎売がよく並べ立てるが、煮ても焼いても美味いものといえば、無論、鯖だ。

鯖の味噌煮一つ。
飯がなくなる。

鯖の塩焼き一つ。
飯がなくなる。

白米を消費させるためだけに生まれてきたのだろうか?
この魚が、どんな思いを抱いて力強く水をかいてきたかなど知る由もないが、ただ一つ。
美味い事だけはよくわかる。

骨も細かくなく面倒でないし、脂がのった鯖のもつ幸福指数は未知数と言える。魚なのに身がしっかりしているから噛めば噛むほど甘みが出てくるし、何よりヘルシー。

さば、と平仮名にした時の愛おしさもまた豊かだ。さば、という文字面は、何処と無く宙に浮くような雰囲気を持ち、見る人の心を穏やかにさせる効果がある。

さば自体に含まれる栄養素とか効果とかはこの際どうでも良い。さばをどう食べても美味しい魚にしてくれた誰かには、感謝をし続けたい。さばの話でした。

季節の変わり目

季節の変わり目は良い。私はそのほとんどの場合、特徴的に変化し続ける気候のせいで、身体的な憂鬱に悩まされている。しかし、それを上回る魅力を、季節の変わり目は持っている。
春から夏に変わる時、あの熱気、あの湿気、ほぼ全ての人が、太陽の近さより湿気の多さを、肌から感じ取るだろう。心臓が、まだ見ぬ夏という固定的な概念に踊る。強い日差し、熱い砂浜、輝く白いワンピース、或いは水着。ほぼ全ての夏を制する海という存在は大きい。母なる海とはよく言ったものだ。実際、この地球の7割は水で出来ているし、人も7割は水なのだから、お母さんと呼んでも大した差異はないのかも。山も良い、虫に刺され、草にかぶれるが、完璧なアートとも呼べる森林とそこに立てられた理想郷、涼しさという自然の安寧、最強だ。というか、都会の暑さと室内の寒さにノックアウトされる前に山に行くべきだ。朝は寒いけど。迎え入れる準備が出来上がってしまうと、夏というものはあっという間に胸に飛び込んでくる。強い意思とか、季節の絶対王者とかいう誇りみたいなものを、既に持ち合わせている感じがする。
夏から秋に変わる時、夏が終わってしまったことと、枯れを象徴する秋の夜長、長雨に、人は少し心を落ち着かせる。過ごしやすく涼しい風が頬を撫でた時なんかは喜んでしまう。秋という季節、不安定な、ほんの一時の過ごしやすさに、体は現金に喜んでしまう。そんな秋、弄んでいるような大人な恋人と付き合うには、無論背伸びをしたくなる。し、人が一番、気取っているのは秋だと思う。そんな感じがするし、私も秋に気取る事が多い。その分は、冬に沈む。
秋から冬に変わる時、これは、また随分と憂鬱に拍車をかけてくる。とにかく朝は寒くて頭が働かないし、外に出たら太陽だってまだ寝ているし、だっていうのに夜が覆う時間は長くなってくるし、突き刺す風は最早痛い。でも、それでも、お気に入りのコートに袖を通す瞬間はいつだって、少し心が高揚しているし、何より、寒がりながら分厚い服に身を包む人たちの、なんと美しいことか。よく分からないが、冬のファッション、覆い尽くしてしまうような、防寒に傾いたファッションは好きだ。あの厚着に身を包みながら、ひとたび暖房の効いた部屋に入れば、心緩むような暖かさ。景色も心なしかホワイト、或いはグレーの薄いレイヤーをかけたような気がしてくる。また、スキーを嗜んでいる以上、やはりスキー板やブーツ、スキーウェアの乗った雑誌を開くあの瞬間の興奮は、何にも代え難い。面倒くささ含めて、冬を全身で感じ始める。
冬から春に変わる時。私はこれが一番好きだ。いやよく分かんないけど好きなのだ。めちゃめちゃ好きだ。本当にこう、これはアレだな、好きすぎて、なんて言っていいか分からないのだけれども、好き。薄氷という言葉があるでしょう、それがピシパシとヒビを入れて、ゆっくり、下の冷たい水に、溶けていく。神社にある謎の水溜めとか、通学路の深すぎる水溜りとか。私の思い描く冬から春への変化イメージは、常に学生時代のものだ。理由は、フリーターになってからまだ春になってない、ってだけなんだけど。その通学路で見つける小さな春の蕾とか、まだ風は冷たいけど太陽は早起きになっていて、刺す日差しの日毎に変わる高さとか。もう少し進むと、風も緩く、コートを脱ぎ始める。私はコートが好きだし、意外と寒がりなので、下手したら四月まで着ていることもある。センチメンタルに浸らせてくれた冬に最後のお別れをして、春はもう浮かれきっている。ルンルンで福袋を見に行くのだけれど、いっつも中身がそぐわなくて買わない。甘酒は飲めないし桜の枝は折ったけど、それでも春は全人類の味方だ。心が浮かれる日本の春を愛している。季節の変わり目の話でした。

ストロー

好きなものを書こう。じゃあまずはストローの事からだ。あれは素晴らしい。両手が使える上に飲み物も飲める。絵を描きながら抱え込んだ飲み物をストローで、ハンズフリーだ見てみろと言わんばかりに目を輝かせ、ふんぞり返って飲む時の心持ちは、もう多分、すごい事になっている。

一度に私的な欲求と生理的な欲求を満たせる事、それがストローの一番素晴らしい点だ。ストロー、君を忘れない。おもちゃの指輪も外さない。そもそも名前が良過ぎる。ストロー、ストローって。良い響きの凝縮体すぎる。ストロー。何度でも呼びたい。たぶん、私の好きな名前のトップスリーくらいに入るから、ストローは自信を持っていい。そういえば、スターとかミラーとかじゃなく、バーテンダーとかハロウィーンとかの、カタカナの三文字以下の伸ばし棒は無視してもいいって聞いたことあるな。ストロ。……いや、ストローの方がいいな。ステラにも似ていい響きだけど、伸ばした方が可愛げがある。文字にしても可愛い。やっぱ天才だな。

天才だな、と言えば、転載作品とかを見て「やっぱ転載だな」と口にすると、褒めてるんだか貶してるんだか分からないですよね。同音異義語って劇で伝えるの大変だけど、逆にそれを面白く使えちゃう人見るとひっくり返っちゃう。天才か、天才だな。ストローの話でした。